菅原工務店

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水源と私たちの暮らし〜縄文アニミズム〜

投稿日:2023.10.08

工務店ミュージアムの「大崎を、学ぶ、つなぐ」という取り組みの一環として、菅原社長と、大崎の土地や歴史を学ぶため各地を巡りました。宮城県北部、長年住んでいても、実は知らないことだらけ。私たちが住む土地の歴史、災害の歴史は、開発と共に地名も変わり、なかなか後世に伝わらないことが多いようです。(宮城の地名については、ぜひ、太宰幸子先生の書籍をお読み下さい。鳥瞰図ちょうかんず
と併せてご覧頂ければ、きっと、子どもたちに語り継ぐことができるでしょう。)

   

長年住んでいる地元、大人でさえ知らないのですから、子どもが分かるわけがありません。気付くタイミングは、いざ災害を目の当たりにした時でしょうか。家を建てる工務店の役割の一つとして、そうしたことを学び、後世につなぐ役目があるのでは……。

 

そこで、鳥瞰図に残そう!ということになりました。制作にあたり、まずキーワードになったのが、大崎を流れる江合川(荒雄川)の水源です。水の流れを知るということは、シンプルですが、大変重要なことでした。もう一つは、鬼首の荒雄川あらおがわ神社・主馬しゅめ神社にある「金華山号きんかさんごう(明治天皇の御料馬ごりょうば)」と、各地にある、金華山の石碑でした。

 

なぜ、大崎・宮城の各地に「金華山」の石碑が建っているのか。さらに、馬の名前となっているのか。「神社と馬」の関係性とともに、不思議に思いました。今では、日常で殆ど目にすることのない「馬」ですが、近代まで、人が生活するためには欠かせない重要な生き物であった事が伺えます。各地に残る金華山信仰と「馬」を紐解くと、海外交易、そして、近代までの暮らしぶりが見えて来ます。

   

また、工務店として欠かせないキーワードが、「地鎮祭じちんさい」や「上棟式」です。日本の家づくりは、とても神事と関係が深いのです。土地の気性が荒いのか、そうでないのか、それは自然と向き合ってきた、先祖が脈々と印(地名など)を残しています。そこに、家を建て、住まうことは、自然界と人間との約束が交わされることになります。

   

昔の家には、神棚がありましたね。神様を数える時に、1柱、2柱と数えるように、家を支える重要な「柱」を祀ったのが、神棚の始まりのようです。

   

神様が宿る、木や石を、自然界から頂き、人間が生きていくのに利用させてもらう。感謝、祈り、……鎮守の森。

   

日本の家づくりと祭祀は、縄文まで遡ります。なんと、そうした遺跡が、宮城のあちこちから発掘され、残っているのですから、大変驚きでした。

 

縄文ではすでに、住居を構え、食料を得て、暮らしていく為にも、冬至、夏至、秋分、春分など、天体の動きも、現代人より敏感に感じていたはずです。そうした感性を持つ、縄文人が行っていた祭祀は、現代では見当もつかない精神文明だったのではないでしょうか。

 

それが、様々に姿かたちを変えて、地鎮祭、上棟式として受け継がれてきているとしたら……。時間を超えた、壮大なロマンを感じるのは私だけでしょうか。

 

地鎮祭などの神事は、やる意味がわからない。必要性を感じないとして、今では執り行わない事も増えてきましたが、そうなるのも無理はありません。特に、戦後の社会の潮流で、家だけでなく、食や文化そのものが、西洋化して行き、そのメリットを享受しながらも、何か忘れ物をしてきた私たち……。都市化する毎に、自然界への畏敬の念が薄らいでいったように思えます。しかし、その忘れ物が何であるか、史実として残してくれた先輩方。

 

   

私は、歴史は得意ではありませんが、今回携わって頂いた専門家の方々、地元の方々に、歴史を教えてもらう毎に、すべての疑問が繋がっていく喜びを感じました。こんなに魅力溢れる場所だったのかと、自然と先祖たちに手を合わせています。

 

最後に、鳥瞰図制作にあたり、ご協力頂きました有識者の皆様には、多大なるご尽力を賜り、誠に感謝申し上げます。

お話しする人

秋山博秋

CATACINO 形の/地域デザイナー
工務店ミュージアムの企画・ディレクションを手がける。